将軍の原点がここに!
源頼朝の祖「河内源氏」の氏神!足利将軍、徳川将軍にも深い関わりが!今回は、羽曳野市壺井にある壺井八幡宮にやって参りました〜♪
羽曳野市の南、静かな住宅街のはぐれに壺井八幡宮が鎮座しています。この神社は河内源氏とゆかりが深く、源義家(八幡太郎)の物と伝わる黒韋威胴丸や天光丸の太刀が残っています。また、境内にある壺井権現社は、「源氏三神社」のひとつに数えられます。
ちなみに「源氏三神社」とは、、、
壺井権現社のほか、京都市の六孫王神社と川西市の多田神社の事を指します。
ちなみに、鎌倉幕府の創始者・源頼朝は、源義家(八幡太郎)の4代孫にあたります。また、室町将軍の足利家、さらには江戸幕府の徳川家も、義家公の流れであると言われています。
この壺井八幡宮は、南北朝時代から戦国時代にかけての戦火に巻き込まれて焼失してしまいました。その後の江戸時代中期に、源氏の子孫である多田義直の手によって再興されたそうです。
境内には、大きなクスノキが立っていました。なんでも樹齢1000年を超えるそうで、大阪府指定の「天然記念物」や「大阪みどりの百選」にも選ばれているそうです。
河内源氏の基礎となった3人
源頼信
源 頼信(みなもと の よりのぶ)は、平安時代中期の武将です。
河内国司に任ぜられ、河内国石川郡壺井を本拠地としました。そのため、河内源氏の祖と呼ばれる人物です。
藤原道兼・道長の兄弟に仕えました。たいへん武勇に優れ、「道長四天王」と呼ばれていました。
ちなみに「道長四天王」とは、、、
源頼信のほか、平維衡・平致頼・藤原保昌の4人の事を指します。
源頼義
源 頼義(みなもと の よりよし)は、源頼信の嫡男で、河内源氏2代目棟梁と呼ばれる人物です。
父・頼信と同じく、たいへん武勇に優れ、特に弓の腕前はとても優れていたと言われています。それは、今昔物語集などにその武勇伝が記されるほどのものでした。
源義家
源 義家(みなもと の よしいえ)は、源頼義の嫡男で、河内源氏3代目の棟梁となる人物です。
もしかしたら、八幡太郎(はちまんたろう)の通称の方が有名かもしれませんね。
地図・住所
【住所】〒583-0844 大阪府羽曳野市壺井605−2
【駐車場】専用の駐車場が有ります。