源頼朝のご先祖様が眠る墓
源頼朝の先祖の墓!この辺りを本拠地とした武家の棟梁!今回は、羽曳野市通法寺にある源氏三代の墓にやって参りました〜♪
羽曳野市の中心部から南のはぐれ、静かな住宅街の中に通法寺跡があります。その近辺に、源 頼信(みなもとの みつなか)、頼義(よりよし)、義家(よしいえ)の三代の墓がありました。この3代は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の先祖とされ、武家の棟梁としての地位を確立したと言われています。
この3つの墓は、かたまって建っていません。
そのため、3つ探すのにはけっこう苦労しました(汗)
下記に、それぞれの場所の地図を掲載しますので、参考にしてくださいね〜♪
通法寺
1043年(長久4年)に、源頼義が壺井堂を建てたのが始まりと言われています。
しかし、南北朝時代に、戦に巻き込まれて焼失してしまいました。その後の江戸時代中期に、源氏の子孫である多田義直の手によって再興されました。しかし、1868年(明治元年)に、廃仏毀釈により残念ながら廃寺となってしまいました。
現在では、山門や鐘楼などを残すのみで、当時の面影はまったくありませんでした。
1957年(昭和32年)には、源氏三代の墓も含めて、「通法寺跡」として史跡に指定されているそうです!
案内板や石碑が建っていました。
源頼信
源 頼信(みなもと の よりのぶ)は、平安時代中期の武将です。
河内国司に任ぜられ、河内国石川郡壺井を本拠地としました。そのため、河内源氏の祖と呼ばれる人物です。
藤原道兼・道長の兄弟に仕えました。たいへん武勇に優れ、「道長四天王」と呼ばれていました。
ちなみに「道長四天王」とは、、、
源頼信のほか、平維衡・平致頼・藤原保昌の4人の事を指します。
↓源頼信のお墓はこちら↓
源頼義
源 頼義(みなもと の よりよし)は、源頼信の嫡男で、河内源氏2代目棟梁と呼ばれる人物です。
父・頼信と同じく、たいへん武勇に優れ、特に弓の腕前はとても優れていたと言われています。それは、今昔物語集などにその武勇伝が記されるほどのものでした。
河内源氏の菩提寺だった通法寺跡は、頼義が創建したと伝わります。そのせいかどうかは分かりませんが、頼信と義家の墓は分かりにくい場所にあるのですが、頼義の墓は非常に目立つ場所にありました。
↓源頼義のお墓はこちら↓
源義家
源 義家(みなもと の よしいえ)は、源頼義の嫡男で、河内源氏3代目の棟梁となる人物です。
もしかしたら、八幡太郎(はちまんたろう)の通称の方が有名かもしれませんね。
↓源義家のお墓はこちら↓
地図・住所
【住所】〒583-0843 大阪府羽曳野市通法寺御廟谷38(通法寺跡あたり)