矢野騒動の舞台となった陣屋
江戸時代に作られた、この辺りを治めた役所!幕末期には、一揆「矢野騒動」の舞台に!今回は、生駒市辻町にある生駒陣屋にやって参りました〜♪
近鉄奈良線「東生駒駅」の北側、静かな住宅街にある小さな公園「辻町第二公園」の中に、「矢野代官所跡」と書かれた石碑が建てられています。陣屋の跡形は何も残っていませんでしたが、幕末に起こった「矢野騒動」と呼ばれる一揆は、この地が舞台になったそうです。
この近くの「生駒ふるさとミュージアム」には、矢野騒動の時に書かれた連判状が保管・展示されています。詳しい案内もされていましたので、そちらも併せて見るのがオススメですよ〜♪
生駒陣屋 体験記
静かな住宅街の中にある、いたって普通の公園です。公園内には、滑り台やブランコなどの遊具があります。
しかし、お目当ての生駒陣屋らしきものは見当たりません。
少し探してしまいましたが、公園の隅っこに、「矢野代官所跡」と書かれた石碑を発見!
その左隣には、たくさんの人の名前が書かれた石碑もありました。おそらく、矢野騒動に参加した人たちの名前でしょうか?
石碑のすぐ近くには、小さな鳥居と祠の様な物が建っていました。
矢野騒動と、何か関係があるのでしょうか?
矢野騒動(生駒一揆)とは
「矢野騒動(生駒一揆)」と呼ばれる一揆は、幕末の慶応4年(1868年)の正月に起きました。
幕末の動乱により領主の出費がかさみ、領民に負担増を強いたために起こったと言われています。領民たちは、大坂の長州藩の陣屋へ一揆の連判状を提出します。嘆願を受けた長州藩の一隊は、包囲していた約500人の百姓達が見守るなか、矢野代官ら陣屋役人たちを大坂へ連行したと言われています。
傘形連判状
「生駒ふるさとミュージアム」の説明書きによると、、、
一揆を起こす者たちが書く署名形式の一つです。署名人平等の権利義務を表し、首謀者・発起人を隠すために円形に署名されています。
矢野騒動時の連判状は当時大阪の長州藩陣屋に提出されたといいます。長州藩に提出された理由は、当時力を持っていた藩が長州藩だったからと考えられています。
地図・住所
【住所】〒630-0212 奈良県生駒市辻町399(辻町第二公園内)
【駐車場】専用の駐車場はありません