大坂冬の陣 今福・蒲生の戦い跡【大阪市 城東区】

大阪

大坂冬の陣 死傷者が続出!

 大坂冬の陣の際、多くの死傷者が!豊臣方の守る今福砦があった場所!今回は、城東区今福西にある大坂冬の陣 今福・蒲生の戦い跡にやって参りました〜♪
 戦国時代の終わりの頃、この地には豊臣方の守る今福砦がありました。そこを徳川方の佐竹義宣が攻め込み、大坂冬の陣最大の激戦地となり、多くの死傷者が出ました。
 また、古墳時代から奈良時代のものとされる、楠木の中をくり抜いた大きな丸木舟が発見された事でも知られています。

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古戦場跡と丸木舟!
一度で二度美味しいとは、この事ですね〜♪

今福・蒲生 激戦地の跡

 現地の案内板によると、、、
 大坂冬の陣の際、この地には豊臣方の守る今福砦があったそうです。
 慶長19年(1614年)11月26日未明のこと、この近くの若宮八幡大神宮に本陣を置いた徳川方の佐竹義宣が、今福砦を攻めました。最初は佐竹軍が優勢でしたが、大阪城より木村重成と後藤又兵衛基次の援軍が駆け付け、大坂冬の陣最大の激戦となり、両軍とも多くの死傷者が出たそうです。

今福の丸木舟出土跡

 現地の案内板によると、、、
 大正6年(1917年)5月7日のこと、この近くの鯰江川の工事の際に、川底から大きな丸木舟が掘り出されたそうです。この丸木舟は、楠木の大木を半分に切って中をくり抜いたもので、古墳時代から奈良時代のものだそうです。
 昭和になって大阪城の中に展示していましたが、太平洋戦争の空襲により焼失したそうです。

地図・住所

【住所】〒536-0004 大阪府大阪市城東区今福西1丁目14−10

【駐車場】専用の駐車場はありません。

今回紹介した場所の動画はこちら


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