頭部と脚部の無い金剛力士像
頭部と脚部の無い金剛力士像!戦国時代の三木合戦において焼失!今回は、三木市志染町にある伽耶院の仁王門にやって参りました〜♪
この仁王門の中には、2体の頭部と脚部が無い金剛力士像が安置されています。なんでも、戦国時代に起こった三木合戦の際に、頭部及び脚部を焼失したそうです。ちなみに、その際に建物も消失したとされ、現在の「仁王門」は大正時代に再建されたものだそうです。
仁王門
内部に安置されている尊像は行基菩薩作と伝えられる金剛力士であるが天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したと伝えられている。
建物は大正時代の再建であり、花頭窓のみが前建造物の遺物である。
(現地案内板より)
三木合戦とは
戦国時代の天正6年(1578年)のことです。
織田信長が中国地方の毛利攻めを行なっている最中、もともとは信長に従っていた三木城主・別所長治は、突然反旗を翻します。そして三木城に立て篭もりました。
三木城には、長治に賛同した国人衆や浄土真宗の門徒など、東播磨一帯から約7500人も集まったと言われています。しかし、それは大きな食糧問題にもなったそうです。
三木城攻略を任された羽柴秀吉は、竹中半兵衛の進言により兵糧攻めを行いました。三木城下町を焼き払い、三木城の支城を攻め落とし、三木城を孤立させたのです。
その後、秀吉は長治に開城する様に勧告しました。長治は、飢えに苦しむ家臣や領民の命を救う事を条件に、開城を決意します。そして、長治は妻子や弟らとともに自害し、三木合戦は終戦となりました。
地図・住所・詳細
【住所】〒673-0513 兵庫県三木市志染町401