詳細不明の謎多き城
高山氏(子孫に高山右近)に関連する施設!高山防衛の要衝!今回は、豊能町高山にある高山城跡にやって参りました〜♪
高山城は、中世後半にこの地の在地領主として存在した高山氏(子孫に高山飛騨守・右近親子)に関連する施設と考えられていますが、築城時期や城主等は不明です。
城跡南東側に整備された林道があり、それに沿って登ると山頂まで到着することが出来ます。
bottsu
山頂までの道のりは、かなりハードです!
気合を入れて登りましょう!!
しかし、山頂からの眺めは絶景でしたよ〜♪
この近くには、高山右近の母である「高山マリアの墓」や、右近が生まれ育ったとされる「高山右近生誕地碑」や、右近も喉を潤した湧水と言われる「マリアの泉」など、高山右近と非常にゆかりが深いとされる場所が点在しています。
戦国時代に思いを馳せて、それらを回ってみるのも良いかもしれませんね〜♪
高山城の歴史と役割
高山城跡
高山城は、標高約490m、明ヶ田尾山系から派生した独立峰状の尾根(通称「ジョウ山」)の山頂部に位置する。ここからは、余野川筋から高山に入る街道がよく見渡せ、防御上では高山盆地の北方の要衝であるといってよい。郭は単郭で規模は南北方向に約43m、東西方向に15〜18mで、郭の形状は不整形である。設備としては簡素な造りで目を引くものは少ない。土塁と堀切と付属郭が確認できる。
当城郭の施設状況・規模から、北方からの侵入者の監視、防御といった機能が想定され、本拠地と連携する支城としての役割を持っていたものと考えられる。なお、築城時期、城主等は不祥であるが、中世後半にこの地の在地領主として存在した高山氏(子孫に高山飛騨守・右近親子)に関連する施設と考えられている。
高山自治会
(案内板より)
地図・住所
【住所】大阪府豊能郡豊能町高山546
↓山頂までの入り口↓