鳥羽伏見の戦い銃弾痕【京都市伏見区】

京都

鳥羽伏見の戦いの傷跡

 時は幕末、薩摩藩・長州藩・土佐藩などの新政府軍と、幕府陸軍・京都見廻組・新撰組を含む会津藩などの旧幕府軍との間で激しい戦闘が行われました。これが俗に言う鳥羽・伏見の戦いです。旧幕府軍の本拠地・大坂と、京を結ぶ要衝でもあったここ伏見でも、激しい戦いが繰り広げられたと言われています。
 その激烈な戦いの傷痕を、ここ料亭「魚三楼」で見ることが出来ます!「魚三楼」の道路に面した柱や窓の格子に、鳥羽伏見の戦いの際に付いたと言われる銃弾痕がくっきりと残っていました。

鳥羽伏見の戦いと魚三楼

 京都伏見の料亭「魚三楼」は、1764年(明和元年)に創業。江戸時代から200年以上も続く老舗のお店だそうです。薩摩藩の炊事方も務めていたと言われています。
 慶応4年(1868年)に鳥羽・伏見の戦いが勃発し、ここ伏見でも激しい戦いが繰り広げられたと言われています。この戦で、伏見の町は南半分が戦火によって焼け野原になったらしいのですが、魚三楼の建物は弾痕のみの被害で済んだそうです。


地図・住所

【住所】京都市伏見区京町3丁目187

【駐車場】専用の駐車場はありません。(付近にコインパーキング等あります。)

【アクセス】
・京阪電車「伏見桃山駅」より徒歩約1分。
・近鉄電車「桃山御陵前駅」より徒歩約2分。


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