日本最古の八幡宮!
南北朝時代から江戸時代の初期まで、いくつもの戦の舞台に!日本最古の八幡宮!今回は、羽曳野市誉田にある誉田八幡宮にやって参りました〜♪
この誉田八幡宮は、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の南側、静かな住宅街の中にひっそりと鎮座しています。しかし、この辺りは古来より戦略上の要地だったとされ、いくつもの戦火をくぐり抜けてきた神社だそうです。
社伝によると、、、
559年に欽明天皇の命令で応神天皇陵の前に誉田宗廟の神殿を建立したことがはじまりで、日本最古の八幡宮と言われているそうです。
その後、1051年の後冷泉天皇行幸の際に、社殿を現在の場所に移したとされています。
安産木
誉田八幡宮は、安産のご利益があるそうです。
境内には、安産社と安産木と言うものがあり、案内板も立てられていました。
誉田林古戦場址
誉田林古戦場址
誉田八幡宮の付近は、南北朝から室町戦国の各時代を経て、江戸初期の元和年間にかけて戦略上の要地であったため再三古戦場の舞台となったところである。
すなわち、南北朝初期の正平年間には、北朝方の細川兄弟の軍と楠木正行の間で合戦が行われ、室町中期の享徳年間には畠山政長と義就の間で再三にわたり誉田合戦が行われた。すこし降って、永正元年(1504)には、前記の孫にあたる畠山稙長(タネナガ)と義英との間で合戦の後で和議となり誉田八幡宮「社前の盟約」が結ばれたのもこの境内であった。大阪夏の陣の折には、大阪方の武将薄田隼人正もこの境内に大陣を置きこの地より出撃して道明寺近辺で、討死をとげたのである。
(現地案内板より)
大阪夏の陣の舞台となった羽曳野市誉田
元和元年(1615)、豊臣秀頼とその母・淀殿らが守る大阪城を、徳川家康らの軍勢が攻め込みました。いわゆる大坂夏の陣です。
この戦いの局地戦が、ここ羽曳野市誉田、藤井寺市道明寺付近にかけての一帯でも行われました。それが道明寺の戦いです。
道明寺の戦いでは、豊臣方の後藤又兵衛(基次)や薄田兼相などの武将が討ち死にし、徳川方の勝利で終わっています。
地図・住所
【住所】〒583-0857 大阪府羽曳野市誉田3丁目2−8
【駐車場】専用の駐車場が有ります