上杉景勝が本陣を構えた神社!
大坂冬の陣の際には、上杉景勝の本陣に!災難除けの神様、八劔大明神を祀る!今回は、城東区鴫野東にある八劔神社にやって参りました〜♪
戦国時代の終わりの頃、大坂冬の陣における最大の激戦地のひとつ鴫野の戦いの主戦場がこの辺りだったとされています。その際、徳川方の上杉景勝は、この地に本陣を置いたと言われています。境内には、「上杉景勝 本陣之地」と書かれた石碑と、上杉景勝の石像が建てられています。
ここからすぐ近くには、「鴫野古戦場跡」の石碑も建っています!
そちらにも、ぜひ足を運んでみてくださいね〜♪
境内散策
八劔神社の東側に、立派な大鳥居が建っています。
お車でお越しの際には、この大鳥居に向かって右側に駐車場がありました。
大鳥居の先には、参道が伸びています。
参道の先には、拝殿や手水舎が見えてきたのですが、、、
その手前の右手、待合所の前に、「上杉景勝 本陣之地」と書かれた石碑が建っていました!
景勝はこの地に本陣を構え、きっと戦勝祈願をしたんでしょうね♪
境内の隅に、石像や石塔などが固まって置いてありました。
説明書きが見当たらなかったのですが、どうやら上杉景勝公の石像だそうです。
こちらは、幸神社・戎神社・辨天社の末社合祭殿だそうです。
神社の西側にも入り口がありました!
ここから歩いてすぐのところには、「鴫野古戦場跡」の石碑も建っていました。
八劔神社の石垣と大阪城!
現地の案内板によると、、、
慶長19年(1614年)に起こった大坂冬の陣「鴫野・今福の戦い」は、今の城東区あたりが戦場になったそうです。徳川方の上杉景勝は、八劔神社の鎮座する鴫野村に本陣を置きました。
大坂冬の陣は徳川方が勝利し、徳川幕府は大阪城の再築を開始します。その際、水運の便が良かった鴫野村は、各地から運ばれた石材の集積場になったそうです。
大阪城完成後に残った石材は、付近の護岸石垣や八劔神社の石垣に利用されたと言われています。
鴫野の戦いとは
江戸幕府(徳川)と豊臣家との間で行われた「大坂冬の陣」の局地戦のひとつ。
豊臣方の井上頼次が守る鴫野村に、徳川方の上杉景勝が攻め込みました。双方の援軍が加わり、多くの死傷者が出たと言われています。近くで行われた「今福の戦い」とともに、大坂冬の陣最大の激戦地のひとつとされています。
地図・住所
【住所】〒536-0013 大阪府大阪市城東区鴫野東3丁目31−8
【駐車場】専用の駐車場あります