女性器と男性器を鎮め奉る!
女性器と男性器を鎮め奉る!三木合戦の際には織田信忠の付城に!今回は、三木市別所町にある陰陽の祠にやって参りました〜♪
ここ小林八幡神社には、古い山桃の木がありました。その木の根元の穴が、女性(陰)に似ているということから、子宝や安産を祈る古代信仰がうまれたと言われています。その後、新たに男性(陽)を伴わせて、陰陽の祠として鎮め奉ったそうです。
ちなみに、小林八幡神は三木合戦の際に織田信忠の軍勢が築いた6ヶ所の付城のひとつだそうですよ〜♪
陰陽の祠
何時、この地に根を下したが苔むしたこの山桃の古木にしめ縄が張られているのを見てもこの神奈備(もり)を守るご神木だと見られて誰もそれ以外の事は分らなかった。ところが平成五年の夏、はからずもこの古木の洞穴に女陰とおぼしき神秘に目をとめた氏子総代並に自治会役員は斉しくこの古木に張られたしめ縄の所以(ゆえん)とする処を知った。
思うに陰陽具象の造形に子宝恵みと安産を祈る古代信仰はこの現世にも大きく生きつづけている事に思いをいたし新たに陽を伴ない来たり陰陽(ふるさと)の祠としてここに鎮め奉る。
平成五年十月吉日
(現地案内板より)
小林 八幡神社
小林 八幡神社
際神 | 天児屋根命(あまのこやねのみこと) |
天手力男命(あまのたぢからおのみこと) | |
応神天皇(おうじんてんのう) | |
創建 | 享保13年3月13日(1728) |
(中御門天皇の御代徳川吉宗) |
天照大神が天の岩戸に身をかくされ、入口の戸をピッタリ閉じてしまわれた。日本の国は、まっくらやみになって色々なパニックが起こった。八百萬神たちが寄り集まり、七柱の神を選び岩戸びらきを一任された。その選ばれた二柱の神が、天児屋根命と手力男命である。日本の国の危急存亡の事態を、一滴の血を流さないで解決なされた神を、小林の祖先は、この八幡神社におまつりした、応神天皇は厄除けの神として広く知られているが、すばらしい学者、織物や鍛冶、船匠など外国の技術者を招いて日本の文化を大きく開かれた天皇である。この天皇を私たちの祖先は、心を寄せ合う守りの神としてこの地に鎮座した。
(現地案内板より)
小林八幡神社付城跡
国史跡小林八幡神社付城跡
平成25年(2013)3月27日指定
所在地:三木市福井、別所町小林
三木城跡及び付城跡・土塁の歴史的価値
天正6年(1578)から8年にかけて織田信長と別所長治の間で行われた三木合戦に関わる城跡と土塁群。
戦国期の合戦の過程や全容を具体的に把握する上で重要な史跡です。
小林八幡神社付城跡の概要
別所町小林の八幡神社境内及びその周辺に位置しています。
三木合戦の際、天正7年(1579)4月に織田信忠の軍勢が築いた6か所の付城の一つと考えられます。城主は不明です。平成4・5・8年度に、三木市教育委員会が発掘調査を実施しました。
各曲輪が土塁や堀で囲まれており、主郭(Ⅰ)には櫓台がありました。主郭とそれに付属する外枡形状の虎口(出入り口)(Ⅱ)が中心部、その東側のⅢ・Ⅳが軍勢の駐屯地です。発掘調査では、丹波焼擂鉢・鉄砲玉・古銭などが出土しました。
現在、主郭は市道建設により、土塁・虎口・竪堀等の一部を残すのみとなっていますが、その周辺の遺構の残存状況は良好です。
(現地案内板より)
地図・住所・詳細
【住所】〒673-0434 兵庫県三木市別所町小林97−1
【駐車場】有り(小林八幡神社参道入口付近の史跡説明板前に一時的な駐車スペースあり、無料)