秀吉本陣跡【兵庫県三木市】

兵庫

三木合戦の秀吉本陣付城

 三木合戦の秀吉本陣付城!ここから三木城を攻略!今回は、三木市平井にある秀吉本陣跡にやって参りました〜♪
 戦国時代に起こった三木合戦の際、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は志染川と美嚢川に挟まれた平井山の山頂に本陣を起きました。ここからは、三木城が良く見渡せたそうです。秀吉は、ここを拠点に三木城を攻略したと言われています。

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 天守閣はもちろん、石垣や砦などもありません。
 しかし、それが逆にリアルだと思いませんか?笑

「三木城跡及び付城跡・土塁」
国史跡 秀吉本陣跡
(平井山ノ上付城跡:平成25年3月指定)
所在地:三木市平井・与呂木・志染町安福田

 三木合戦の際、羽柴(後の豊臣)秀吉が本陣とした付城です。美嚢川と志染川の間に挟まれた山上に位置し、南西に三木城を望むことができます。
 天正6年(1578)7月、織田信長の長男、信忠が三木城を支援する神吉城や志方城(ともに加古川市)を攻略した後、築城したとされています。8月に羽柴秀吉が入ると、10月15日に津田宗及を招いて茶会を開催しました。同22日に別所方が襲来して合戦が繰り広げられましたが、別所長治の弟別所治定らが討死するなど、別所方の敗北に終っています。
 城は、土塁囲みの平坦地を主郭(Ⅰ)として東西に尾根が延び、その尾根から分かれる北側の尾根には軍勢が駐屯するための段状の平坦地群が設けられています。主郭(Ⅰ)の東側に延びる尾根は、部分的に土塁で囲まれ、櫓台状の土盛りが見られます。
 なお、Ⅱ・ⅢはⅠから独立した曲輪群を形成し、三木城を包囲する付城群の中では最大規模を誇っています。

平成25年11月 兵庫県三木市教育委員会

(現地案内板より)

入山案内

【入山時間】午前8時~午後5時(入城は午後4時まで)

【入山料】無料

【駐車場】登城口に専用の駐車場あり(無料、約20台分)

段上の平坦地群

段上だんじょう平坦地群へいたんちぐん

 兵が駐屯ちゅうとんできるように、斜面地を削ったり、土を盛ったりして、段上に複数の平坦地が築かれています。当本陣跡には段上の平坦地群がたくさん築かれています。

(現地案内板より)

三木合戦

 戦国時代の天正6年(1578年)のことです。
 織田信長が中国地方の毛利攻めを行なっている最中、もともとは信長に従っていた三木城主・別所長治は、突然反旗を翻します。そして三木城に立て篭もりました。
 三木城には、長治に賛同した国人衆や浄土真宗の門徒など、東播磨一帯から約7500人も集まったと言われています。しかし、それは大きな食糧問題にもなったそうです。
 三木城攻略を任された羽柴秀吉は、竹中半兵衛の進言により兵糧攻めを行いました。三木城下町を焼き払い、三木城の支城を攻め落とし、三木城を孤立させたのです。
 その後、秀吉は長治に開城する様に勧告しました。長治は、飢えに苦しむ家臣や領民の命を救う事を条件に、開城を決意します。そして、長治は妻子や弟らとともに自害し、三木合戦は終戦となりました。

地図・住所

【住所】〒673-0421 兵庫県三木市平井・与呂木・志染町安福田あたり

【駐車場】登城口に専用の駐車場あり(無料、約20台分)

【公共交通機関でのアクセス】神戸電鉄(粟生線)「恵比須駅」下車徒歩約35分(約2300m)

今回紹介した場所の動画はこちら


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