伏見桃山城
伏見区桃山町の「伏見桃山城運動公園」の中に、立派な模擬天守が建っています。
このお城は、戦国時代の終わり頃に豊臣秀吉が築城しました。その後、関ヶ原の戦いの際に落城してしまいましたが、江戸時代の初めに徳川家康によって再建されました。
現在は、耐震の都合上、天守閣に登ることは出来ません。歴史的・文化的価値もありません。しかし、外から見るだけでも、十分見応えがあると思いますよ〜♪
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【住所】京都府京都市伏見区桃山町大蔵45(伏見桃山城運動公園内)
【駐車場】伏見桃山城運動公園に有料駐車場有り
寺田屋
京阪電車本線「中書島」から北に徒歩約5分のところに寺田屋はあります。この寺田屋は、明治維新の立役者・坂本龍馬が京での定宿にしていた事で有名な船宿です。
文久2年(1862)、寺田屋に集結していた薩摩藩の尊皇過激派を、同藩の藩士が粛清した寺田屋騒動(てらだやそうどう)。慶応2年(1866)、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行の捕り方が捕縛ないしは暗殺しようとした寺田屋事件(てらだやじけん)。この2つの事件は有名です。
本来の寺田屋は、鳥羽伏見の戦(1868年)の戦火に巻き込まれ焼失したと言われています。現在の建物は、その後に再建されたものだそうです。
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【住所】伏見区南浜町263
【アクセス】京阪電車本線「中書島」下車徒歩約5分、近鉄電車「桃山御陵前」下車徒歩10分、市バス「京橋」下車徒歩約1分
【電話】075-622-024
【定休日】1/1~1/3、月曜日不定休
【営業時間】10時~16時(入館は15時40分まで)
【参観料】一般 400円、中学・高校・大学生 200円、小学生 200円
御香宮神社
豊臣秀吉は伏見城の守り神に!鳥羽伏見の戦いでは官軍(薩摩藩)の屯所に!今回は、京都は伏見区に鎮座する御香宮神社に行って参りました〜♪
境内には、『御香宮』の名前の由来となったとされる、飲めば病気が治ったと言われる御香水がありました。また、国指定重要文化財に指定されている、桃山期の特色ある建築物の表門や極彩色彫刻の本殿は、とても圧巻でしたよ〜!
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【住所】京都市伏見区御香宮門前町174
【アクセス】京阪電車「伏見桃山」下車、徒歩約5分。近鉄電車「桃山御陵前」下車、徒歩約5分。JR奈良線「桃山駅」下車、徒歩約5分。市バス「御香宮前」下車、徒歩約1分。
伏見口の戦い激戦地跡
坂本龍馬が京での定宿にしていた事で有名な寺田屋のすぐ近く、京橋の北側に「伏見口の戦い激戦地跡」の石碑が建っています。
この辺りで、薩摩藩・長州藩・土佐藩などの新政府軍と、幕府陸軍・京都見廻組・新撰組を含む会津藩などの旧幕府軍との間で、激しい戦闘が行われたと言われています。
あまり目立たない場所にありますが、説明板もあるので、歴史好きな方にはおすすめな観光スポットになりますよ♪
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【住所】伏見区南浜町あたり(京橋北詰東側)
「龍馬とお龍、愛の旅路」像
寺田屋に宿泊していた坂本龍馬を、伏見奉行の捕り方が襲撃した寺田屋事件。その舞台となった寺田屋と川をはさんだすぐ近くに、坂本龍馬とお龍が仲睦まじく並んで立っています。
京阪電車本線「中書島」から北に徒歩約5分、伏見みなと公園内に「龍馬とお龍、愛の旅路」像が建っていました。
寺田屋事件の後、坂本龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉をお龍と二人で巡りました。これは日本初の新婚旅行とされています。その旅行の出発点が、ここ寺田屋浜と言われているそうです。
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【住所】京都市伏見区表町(伏見みなと公園内)
伏見長州藩邸跡
伏見と京を結ぶ竹田街道(府道115号線)沿いで、大坂と京を結ぶ要衝でもあった京橋からほど近いところに、伏見長州藩邸がありました。禁門の変の際には、約500人の武装した志士たちが、この伏見長州藩邸より京に向かって進軍したと言われています。
現在は京都市建設局土木管理部伏見土木事務所になっており、石碑と案内板が建っているだけですが、歴史好きな方は行ってみるのも良いかと思いますよ♪
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【住所】京都市伏見区表町578(京都市建設局土木管理部伏見土木事務所前)
竜馬通り商店街
京町家風の建物が建ち並び、ガス灯風の照明や石畳など、それはまるで幕末の京都にタイムスリップした様な錯覚に陥ります。そんな、レトロで魅力的な商店街が、「竜馬通り商店街」です!地元の人々はもちろん、国内外から訪れる観光客からも愛される商店街となっています。
近くには、坂本龍馬が京での定宿にしていた事で有名な寺田屋もあります。もしかしたら、龍馬もこの場所を散歩していたかもしれませんね♪
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【住所】京都市伏見区車町273
坂本龍馬、避難の材木小屋跡
坂本龍馬が宿泊していた寺田屋を、伏見奉行の捕り方が襲撃した寺田屋事件。その際、後に龍馬の妻となるお龍の機転により、龍馬は辛うじて寺田屋を脱出しました。しかし、手の親指に傷を負った龍馬は、追っ手から逃れるため濠川そばの材木小屋に隠れたと言われています。
現在では、材木小屋も無くなり石碑と案内板があるばかりですが、大手橋から濠川を見渡すことが出来ます。ここに来て、当時の龍馬救出劇を想像してみてはいかがでしょうか♪
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【住所】京都市伏見区村上町370
伏見の酒蔵
伏見の街中を散策していると、多くの酒屋さんや酒蔵に出会します。ここ伏見は、古くから酒蔵のまちとして酒づくりが盛んだったそうです。
なかには、美味しい酒の肴を出してくれるお店もあります。お土産に買って帰るのも良し!美味しい料理と一緒に味わうのも良し!ぜひ、伏見の清酒を堪能してみてください♪
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【住所】京都府京都市伏見区塩屋町他(京阪電車「中書島駅」北側一帯)
伏見土佐藩邸跡
坂本龍馬や板垣退助も立ち寄ったかもしれない⁉︎幕末期には、この地に伏見土佐藩邸が建っていたそうです!そして、鳥羽伏見の戦いの際には、ここから多くの志士たちが参戦したと言われています。
現在では、月桂冠情報センターの敷地内に石碑と案内板があるばかりで、当時の面影は全くありません。しかし、伏見観光、特に歴史観光の際には、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか♪
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【住所】京都市伏見区南浜町248−4(月桂冠情報センター敷地内)
会津藩駐屯地跡
東本願寺伏見別院の門前脇に「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」の石碑と案内板が建てられています。幕末期に起こった鳥羽伏見の戦いの際には、旧幕府軍の会津藩の先鋒隊約200名が、ここ伏見御堂を宿陣としたと言われています。そして、この地でも本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあったと伝わります。
また、豊臣城下町の特徴を示す「四辻の四つ当たり」(東西南北どこから来てもまっすぐ進めない)も見どころのひとつですよ〜♪
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【住所】京都府京都市伏見区大坂町
鳥羽伏見の戦い銃弾痕
時は幕末、薩摩藩・長州藩・土佐藩などの新政府軍と、幕府陸軍・京都見廻組・新撰組を含む会津藩などの旧幕府軍との間で激しい戦闘が行われました。これが俗に言う鳥羽・伏見の戦いです。旧幕府軍の本拠地・大坂と、京を結ぶ要衝でもあったここ伏見でも、激しい戦いが繰り広げられたと言われています。
その激烈な戦いの傷痕を、ここ料亭「魚三楼」で見ることが出来ます!「魚三楼」の道路に面した柱や窓の格子に、鳥羽伏見の戦いの際に付いたと言われる銃弾痕がくっきりと残っていました。
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【住所】京都市伏見区京町3丁目187
伏見奉行所跡
伏見観光の中心地から少し離れた東側、桃陵団地の入り口に、伏見奉行所跡の石碑と案内板が建っていました。
伏見奉行所は江戸幕府の遠国奉行の一つで、伏見の民政・御所の警護・西国大名の監視などを行なっていたそうです。鳥羽伏見の戦の際には、新撰組がここで薩長軍と激しい戦闘を繰り広げたと言われています。
明治期から終戦までは陸軍工兵16大隊敷地、戦後は駐留軍駐屯地を経て、桃陵団地となったそうです。
この一角は、それっぽくなっているので(笑)少し足を伸ばすのも良いかもしれませんね♪
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【住所】京都市伏見区西奉行町(桃陵団地内)